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年度末、どこもかしこも忙しそう。
しかも卒業式シーズンですから、
街は、宴会に流れる団体で溢れかえり、
ホームも、宴会帰りの有象無象でごった返し。
といいながら、かくいう私達も大いに宴会。
早いものですね、4年間なんて・・。
あっと言う間ではないのでしょうが、
昨日のように思うことが、もう4年前。
普段は意識をしない時代の区切りですが、
大学生といると、否応無しに感じるものです。
なんて事を毎年思うのですが、
今年も、一番身近な卒業生数人を祝いました。
みなどんな人生を歩むのでしょうか・・・。
よく、オトナたちは、「最近の若者は・・」と、
ボヤキ加減に言ったり、呆れ顔になってみたり、
さも、オトナ達が正義の様な言葉を浴びせますが、
そんなオトナも若かったはずです。
大人になったから、自分の若かった時の事など、
忘却の彼方なのではないでしょうかね。
しかも昔の方が良い時代だったなんて
誰が決めたのか、そうなると、
この世は常にダメな人間によって滅ぼされていく、
といった悲壮感しかないものなのだ。
大学生といると、いつも思うのは、
みな、頭良くなったなぁ〜と、いうこと。
デジタル化で、情報の回りが素早いからでしょうが、
体験する前に、既に疑似体験のような情報が、
頭のなかに入っているので、
余計な言葉も要らず、余計な推測も皆無、
そのことで、余計な会話も要らないみたいです。
でも、これがオトナにとっては、「最近の・・」と、
見えるのかも知れません。
個人で話していると、過去の若者と変わらないし、
むしろ、情報武装の内面は、非常にナイーブで、
面白い反面、モロさもすぐに表情に出ます。
でも表現も多彩だし、意見も言えるものなのです。
ただ、人数が増えてきたりすると、
自分と他人の距離感を掴むのが上手くないのか、
コミュニケーションをバランス良く取る人が減ります。
つまり、若者個人は変わって居ないのだが、
人の間にある、「距離感」が変わっているのですね。
多世代を含めれば、感覚はさらに違います・・。
しかし、そりゃそうだ。
20年前は、メールも携帯もなく、
あるのは家の電話。
辛うじてポケベルですか・・。
今の生活から比べたら、通信に関しては縄文時代!
そんな時代を、言葉一つで生き抜いてきた輩は、
信じるものは人の体温だったり、息づかいだったり、
そんな距離感でないと、相手に伝えられないのでしょう。
学生は3つ年上のギャップしかなかったが、
社会という学校は、
毎日40も年の違う相手と、共に学ぶのです。
経験豊なオトナ達とは、だからといって偉いわけではない。
でも経験の産物を凌駕するくらいのエネルギーで、
若さを生き抜いて欲しいものだと思うのです。
卒業おめでとう。
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