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M大オケの金管打楽器コンサート。
第20回だったのです。
出演の学生達には、「へ〜20回、ふ〜ん」だろうが、
こちらにとっては、そんな簡単な感嘆ではなく、
「なるほど20回!そうだね20回!フムフム・・・」
と、かなり感慨深き回数なのである。
単純に言ってしまえば、
私が20年以上も教えているという事なのであるが、
第1回目を思い出すと目頭が熱くなるものの、
第1回のヤツラを思い出すと、頭に血が上る。
・・・そのくらい、大変だったという比喩である。
そもそも、オケ好きの学生などと言うものは、
始終オーケストラのメロディー吹いて満足し、
どんなに音程悪くても、考え方が間違っていても、
吹いている本人の頭の中には、ベルリンフィルや、
ウィーンフィルの音が同時に鳴り響いているのである。
つまり、妄想と幻聴のミックスされたカラオケの中で、
気持ちよく演奏(と言えるのか)をしている状態である。
しかしこんな吹き方しているだけでは、上手くなるわけない。
なんとか、上手くなるために必要な練習や考え方を、
日夜頭をひねりながら考え、事あるごと丁寧に説いたが、
結局は練習後の酒の洪水に押し流されて、
素敵な練習方法の記憶などは、忘却の彼方へ水没した。
当時、ほぼ学生らと同じ年の私は、
金管全体を管理する唯一のトレーナーであり、
立派な前任の故S氏が多忙になったため、
同じ苗字と、酒が飲めるのを見込まれて(ウソ!)、
送り込まれたのであるが、
なんとか報いたいと一所懸命やっていたのである。
(勿論今だって誰よりも真面目にやっているのだ)
そこで一大奮起をして、私は居酒屋で声を上げた。
「金管コンサートやろう!!」
あたりは静まり返り、学生の失笑すら聞こえてくる・・。
また、単なる飲みノリで歌い始める前に、再度叫ぶ。
「金管コンサートやるぞ!コラてめーらボケ!!」
日頃上品な僕が、「ボケ」まで言ったか定かではないが、
こうして第1回目の火蓋はパックリ切られたのである。
練習はM大試験と重なり、場所の確保からして大変。
某母校、東京にある国立芸術風大学に全員で参上し、
ほっかむりをして、抜き足で講義室に忍んだものだ。
そこまでは成功しヤレヤレなのだが、困った。
音出せば、他の音大生とは違うのは一目瞭然。
最初から、上手に演奏しないとバレてしまうのである。
なんども通い、上手な演奏で練習を重ねるも、
なにせ、何故アンサンブルをやる必要があるのか
解って居ないのだから、困りものだし、
その上、たいして吹けていないのだから、
完全にお手上げなのである。
そうこうしながらも、
辛い練習後の酒は、皆で飲むとさらに美味い事も覚え、
アンアンブルの意味と、大切さを身体で体験しながら、
なんとか発表できるところまで漕ぎ着いたのだ。
公演は、お世話になっている某坂の上の素敵な教会。
しかし・・
各曲のタイトルとは完全に関係ない衣裳だし、
アンサンブルを夜覚えたからって、
公演前に酒飲む奴もいるし・・。
ど、どなっているのだ、、と絶句しながら公演は終了。
その日から数えて、20数年。
そのころ生まれた学生達が舞台に立っている。
しっかりウォームアップをして調子を整えたりして、
酒飲んで演奏する奴も居ないし、
素晴らしいマナーで、姿だけなら音大生の身のこなしで、
羽目外して叫んだり、踊ったりする奴もいない。
決して否定できない演奏で、熱き情熱もぶつけて、
耳を塞ぎ逃げたくなる様な演奏も皆無である。
椅子、譜面台のセッティングに見かねて、
私が急遽手伝うようなこともなく、
素晴らしいオケ内スタッフに信頼を置いている。
20年という年月は凄いのです。
勿論、今ではトレーナーも4人いますし、
各楽器の学生数も多くなり、競争も激しく、
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